不登校の問題は小学生・中学生・高校生においてである。特に中学生、小学生は大きな問題である。人生のベースとなる時期にものすごい負荷がかかって、子供の心をずたずたに切り裂き、その後の人生を大きく左右してしまうからである。そのまま大人になり、社会に入らなければいけない状況となった時、どうなるのだろうか? 社会でやっていけない、それはすなわちニート、ひきこもり、無職、ホームレスの道を選ぶしかないということだ。残念なことに人間は一人だけで生きていくことはできない。社会と接点を持たなくてはいけない。それがいやなら、親の庇護の下、生きると言うことだが、いつまでも親は元気ではいない。その前に働けなくなる時期が来てしまう。非常に大きな重荷となってしまうため、その手の事件(働けと言われて逆上し親を殺してしまうなど)は最近よく聞かれるようになった。

社会に出るという意志は置いておいて、社会は彼らをどう思って、どう扱っているのか? 厳しいと言わざるを得ない。企業は利益をあくまで追求する。それができないときは倒産し、社員は路頭に迷う。だから使えないものはいらない。容赦なく切り捨てる。だから使えると判断した者だけを雇い入れる。ではどこで雇おうと決めるのだろうか? 面接はもちろん大きな要因だが、その前に必ず書類審査がある。いくら自分が素晴らしい高い能力を持っていると思っていても、会社としてはいちいちそこまで見ようとしない。そんな暇はないからだ。だからその人がどういう人生を歩んできたのか、書類上で判断する。それが通った人だけ、その人の能力、パーソナリティを見ようとする。

不登校になり、そのままの流れで青年期を得た人は、そういう厳しい現実の前に、思い通りの職業に就くことなかなかできない。いわゆる一般企業に入ることは、不可能ではないが、トータルとしてみた場合難しい。それとは違う道を選ぶしかない。特殊な道に置いて自分の力が発揮できた人もたくさんいる。学歴や経歴がすべてではない一例だ。しかし、確固たる目標や意志を発揮できないまま来た若者は、その道があることに気づかない。導くことができる人がいるなら話は別だが、あらゆる現実が大きな壁としてそびえ立っているように当人は思ってしまうのだ。当人のやる気の問題と言ったらそれまでだが、会社の受け入れ態勢の厳しさと当人の抱える問題の二つで、非常に社会的に生きていくことが制限されてしまうのである。強調していっておきたいのは、制限されても不可能ではないということである。でも自分の自信がないと、不可能を可能にするところではなく、可能も不可能だと思ってしまう怖さがある。

会社は途中で投げ出した者として、不登校やひきこもりの若者を見る。いわんや金を会社のために稼いで、利益を上げることはさらに難しいと見るだろう。当人にどんなに感性や知識や頭の鋭さを持っていたとしてもだ。ただし民がダメなら、官がある。公務員の道なら、年齢制限の前に取り組めば何とかなるだろう。生存競争も民に比べたらあまりになさ過ぎるほどだ。ただし、その際にやっぱり高校卒業、大学卒業という資格が問題となってくる。そこまで不登校の問題は根深く、親としては「命にかえても」子供の不登校を正すために頑張ろうとする。しかし、子供から見ると親の強迫的な命令でさらに追いつめられるという結果が多い。親子の断裂が大きくなり、ますます殻に閉じこもってしまうケースをよく拝見した。

民は利益追求のための人材を求めなければならない事情があるから、期待するのはあまり望まない方がいいかもしれない。社会の受け入れ態勢をより門戸の広い柔軟のあるものにするには、官が積極的に動かなければならないだろう。社会的弱者として不登校・ひきこもりの若者をみなせば、社会的弱者救済の高まりとともに動きと対策が広がっていくことを望む。